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2008年01月13日
朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物は何?その4
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物は何?」
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物は何?その2」
朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物は何?その3
の記事のつづきです。
これまでの記事では、
足が少ないと不安定で、足が多いほうが安定する
ということでした。
また、足が少ないと技術がいり、
足が多くなると安定するけど足の長さを揃えないといけませんでした。
そして「足の数」を人間で考えて、
1本足→1人
2本足→2人
3本足→3人
4本足→4人
という感じでした。
前回は「仕事」でしたので、
今回は「家族」で考えてみます。
1人、ということになると、
一人暮らしの人、となりますね。
仕事のときと同じく、
何をしても自由ですが、
なんでも一人でしなくてはいけません。
炊事洗濯掃除などなど・・・
もちろん、外食したり清掃サービスを頼んだりすることはできますが、
基本的には自分ですべてしなくてはいけなくなります。
2人を考えると、
『夫婦』が2人になりますね。
もちろん他にも考えられますが、
ここでは夫婦で考えてみます。
夫婦2人で暮らす場合、
それぞれの足りない部分を補うと、
家庭がスムーズになりますね。
夫婦で50:50の関係になく、
「主従」の関係になる場合も多々あるかと思いますが、
そうなるとなかなかスムーズにいかないのではないでしょうか。
(私は独身なのであまり深くはわかりません。汗)
3人を考えると、
子どもが一人できた場合が考えられます。
そして、ここでも、仕事と同じく、
「3」という数字はおさまりが良いです。
『父親・母親・子ども』
という別々の役割をそれぞれ持っています。
ここで、親と子は主従関係にはありますが、
「子はかすがい」ということわざもありますように、
子によって親が救われることが多々あることを考えると、
ある意味それぞれが対等な関係にあります。
そして、4人の場合を考えてみます。
この場合は、両親に子どもが2人産まれたときが考えられますね。
『父親・母親・子ども・子ども』
となります。
このとき、3人のときと決定的に違うところがあります。
「子ども」という役割が2人いるということです。
もちろん、それぞれ子どもは違う人間ですが、
「子ども」という意味では同じです。
3人のときは、3人それぞれ役割が違いました。
4人では、同じ役割を2人がしています。
そして、この役割を演じる人間は違う人間です。
ここに難しさ、言い方を変えればおもしろさがあるように思います。
子どもが2人、別の人間がその役割をしているのですから、
当然、違った演じ方、演技になります。
ここでひとつの問題が出てきます。
「相対評価」というものです。
3人のときにはなかった、
「比べる相手」がでてくることです。
「相対評価」を考えると、
『子ども』2人の間に優劣がつきます。
そこで「劣」となった(感じた)ほうは、
ここでいくつかの道に分かれます。
私が思う一番良いのは、
「絶対評価」の世界で生きること。
つまり、人は人、自分は自分で「我が道を行く」
ということです。
もう一人の子どもと全く違う分野を歩んでいると比較的やりやすいかもしれません。
もう一つ良いのは、
もう一人の子どもに負けないように頑張ること。
負けないように頑張るということは、
相手を認めて、自分の状況も認めて努力するということですから、
とても素晴らしいことです。
上記のように考えていれば良いのですが、
「相対評価」のまま続いてしまうことがあります。
「相対評価」というのはいわば、
机の足の長さで物事を図るようなものです。
机の足の長さが違えば当然、グラグラしてきます。
対して、「絶対評価」というのは、
それぞれの人の価値ですから、
『自分も相手も認める度量の広さ』ができる、
つまり価値観の「幅」が広がります。
机の足で考えると、足の長さに柔軟性ができるようなものでしょうか。
伸縮自在の足になるようなものかもしれません。
相対評価を続けていくと、
これは「光と影」の存在になっていきます。
光が強くなれば影も濃くなります。
影が濃くなれば光も強くなります。
そして後は相乗効果です。
この場合、「相対評価」ですから、
「影」が世間一般で「優秀」かどうかは関係ありません。
あくまで光との『差』です。
・・・つづく
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物は何?その2」
朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物は何?その3
の記事のつづきです。
これまでの記事では、
足が少ないと不安定で、足が多いほうが安定する
ということでした。
また、足が少ないと技術がいり、
足が多くなると安定するけど足の長さを揃えないといけませんでした。
そして「足の数」を人間で考えて、
1本足→1人
2本足→2人
3本足→3人
4本足→4人
という感じでした。
前回は「仕事」でしたので、
今回は「家族」で考えてみます。
1人、ということになると、
一人暮らしの人、となりますね。
仕事のときと同じく、
何をしても自由ですが、
なんでも一人でしなくてはいけません。
炊事洗濯掃除などなど・・・
もちろん、外食したり清掃サービスを頼んだりすることはできますが、
基本的には自分ですべてしなくてはいけなくなります。
2人を考えると、
『夫婦』が2人になりますね。
もちろん他にも考えられますが、
ここでは夫婦で考えてみます。
夫婦2人で暮らす場合、
それぞれの足りない部分を補うと、
家庭がスムーズになりますね。
夫婦で50:50の関係になく、
「主従」の関係になる場合も多々あるかと思いますが、
そうなるとなかなかスムーズにいかないのではないでしょうか。
(私は独身なのであまり深くはわかりません。汗)
3人を考えると、
子どもが一人できた場合が考えられます。
そして、ここでも、仕事と同じく、
「3」という数字はおさまりが良いです。
『父親・母親・子ども』
という別々の役割をそれぞれ持っています。
ここで、親と子は主従関係にはありますが、
「子はかすがい」ということわざもありますように、
子によって親が救われることが多々あることを考えると、
ある意味それぞれが対等な関係にあります。
そして、4人の場合を考えてみます。
この場合は、両親に子どもが2人産まれたときが考えられますね。
『父親・母親・子ども・子ども』
となります。
このとき、3人のときと決定的に違うところがあります。
「子ども」という役割が2人いるということです。
もちろん、それぞれ子どもは違う人間ですが、
「子ども」という意味では同じです。
3人のときは、3人それぞれ役割が違いました。
4人では、同じ役割を2人がしています。
そして、この役割を演じる人間は違う人間です。
ここに難しさ、言い方を変えればおもしろさがあるように思います。
子どもが2人、別の人間がその役割をしているのですから、
当然、違った演じ方、演技になります。
ここでひとつの問題が出てきます。
「相対評価」というものです。
3人のときにはなかった、
「比べる相手」がでてくることです。
「相対評価」を考えると、
『子ども』2人の間に優劣がつきます。
そこで「劣」となった(感じた)ほうは、
ここでいくつかの道に分かれます。
私が思う一番良いのは、
「絶対評価」の世界で生きること。
つまり、人は人、自分は自分で「我が道を行く」
ということです。
もう一人の子どもと全く違う分野を歩んでいると比較的やりやすいかもしれません。
もう一つ良いのは、
もう一人の子どもに負けないように頑張ること。
負けないように頑張るということは、
相手を認めて、自分の状況も認めて努力するということですから、
とても素晴らしいことです。
上記のように考えていれば良いのですが、
「相対評価」のまま続いてしまうことがあります。
「相対評価」というのはいわば、
机の足の長さで物事を図るようなものです。
机の足の長さが違えば当然、グラグラしてきます。
対して、「絶対評価」というのは、
それぞれの人の価値ですから、
『自分も相手も認める度量の広さ』ができる、
つまり価値観の「幅」が広がります。
机の足で考えると、足の長さに柔軟性ができるようなものでしょうか。
伸縮自在の足になるようなものかもしれません。
相対評価を続けていくと、
これは「光と影」の存在になっていきます。
光が強くなれば影も濃くなります。
影が濃くなれば光も強くなります。
そして後は相乗効果です。
この場合、「相対評価」ですから、
「影」が世間一般で「優秀」かどうかは関係ありません。
あくまで光との『差』です。
・・・つづく
Posted by 青い夜 at 23:48│Comments(0)
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